◆真昼の月◆

ヘルパーのお仕事、職人仕込みのレシピなどを綴ります。

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こちらで演奏会の感想を書くのはとても久しぶりだ。
でも、まったく行っていなかったわけではない。
心の洗濯に、ちょこちょこ行ってはいる。

今夜は大好きな西本智実さんがルーマニア国立ジョルジュ・エネスコ・フィル・ハーモニーを指揮するというので、オペラシティまで聴きに行った。
最近コマーシャルでも活躍している西本さんだが、「新世界より」のCDはお気に入りで、我が家でもよく聴いている。

ドヴォルザーク:交響曲第9番ドヴォルザーク:交響曲第9番
(2008/06/04)
西本智実

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でも一番のお気に入りは、なんといってもボレロだ。
レコードだったら擦り切れているかも。というくらい(笑)。

ラヴェル:ボレロラヴェル:ボレロ
(2003/09/18)
西本智実

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今夜は曲目がまた魅力的、というか、私にとっては興味深いラインナップだ。

ヴェーラ・バルトーク:ルーマニア民族舞曲S.76
セルゲイ・プロコフィエフ:交響曲第1番ニ長調「古典」作品25
ヨハネス・ブラームス:交響曲第1番ハ短調作品68


難解で、でもなぜか惹き付けられるバルトークと、
一度聴いてみたかったプロコフィエフ。
大好きなブラームス、となれば、やっぱり聴きに行くだろう(笑)

割りに小柄な演奏家が多いな、というのが第一印象のこのオーケストラ。
ルーマニア人というと、よく知っているのはコマネチ体操選手だが、そうか彼女も小柄だったな、などと関係ないことを思う。
しかし、西本さんがいつものように颯爽とステージに登場すると、場の空気がきゅっと締まる。

最初の一振りが美しい。だからこの瞬間が大好きだ。
想像通りバルトークは難しく、自分が予想する音とは違う方向へ曲が流れていく。
予測が付かない。でもそれは面白い裏切りだと感じられる。
「へえ、そう来るのか」「なんでこうなるのかなぁ」と気持ちよく翻弄される。
プロコフィエフは正統派、という感じ。
ブラームスはすばらしかった!
壮大にしてダイナミック。西本さんの全身から迸り出るエネルギーが音楽と融合していく。

アンコールがまた嬉しいことに、馴染み深いブラームスのハンガリア舞曲だった。
アップテンポな曲を、しなやかに指揮する西本さんと、それに合わせてうねるように演奏されていく曲。特に弦楽器のド迫力。

瞬きするのさえ惜しい。
ひとつの音も聞き漏らしたくない。
そう思いながら身を乗り出すように聴いた。

これが客席でなく、自分も演奏するひとりとして、あのステージにいたら、どんな気持ちなのだろう。
魂の音を奏で、力のある指揮者に導かれて、オーケストラ全体で音楽を作ってゆく過程は、ものすごく幸せなのではないだろうか。

心からの拍手を残して会場を後にする。
今夜は心の洗濯というより、心にパワーをもらった感じ。

良い音楽に身をゆだねるのは本当に楽しい。
また出かけたいと思う。

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今年度は次女が受験生なので、夜のお出掛けは自粛中。
1か月に1回は行きたいと思っているクラシック演奏会も、もちろん減らしているんですが。
会場が埼玉会館と近いこと、大好きな西本智実さんが指揮をするというので行って来ました。

5月27日 埼玉会館大ホール(埼玉県)にて
西本智実東京交響楽団特別演奏会
西本智実指揮《ウィーン古典派の交響曲》
東京交響楽団


ハイドン 交響曲第94番「驚愕」
モーツァルト 交響曲第29番  
ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」


埼玉会館での演奏会には行ったことがありません。
会場は、音響はどうなんだろうという不安もありましたが、チケットは完売で、本当に満席でした。
演奏前のホワイエにいる時から、観客の「演奏を早く聴きたい」という興奮が伝わってくるようです。

いつでも、そう、本当にいつも。
舞台の袖から西本さんが姿を現したとたんに、会場の空気が変わります。
心地よい緊張と鮮やかな色彩が会場全体を包むのです。
しなやかに腕が振り下ろされる瞬間が1番好き。
指の、爪の先まで、みなぎりほとばしる音楽のエネルギーは、そこからオーケストラに向かって放たれ、演奏者たちを掴んで上り詰めようとします。

素晴らしい指揮でした。
気迫のこもった力強い指揮でした。
ああ、なんと素晴らしいのだろうと痺れるほどでした。

けれども残念なことに、私は完全燃焼できなかったのです。

何度もこのブログで書いていますが、私は“ド素人”です。
音楽については全然詳しくありませんし、わからないと言ったほうがいいくらいです。
だから、この先に書くことは私の主観であって、全然違う感想をお持ちの方もいらっしゃると思っています。
それをご理解した上で読んでいただきたいのですが、

最初の音から、「あれ?」という感じだったんです。
特に管楽器の吹き始めの音。切り上げる最後の音。
もっと歯切れよく、きちんと吹けるでしょう? という感じ。
ハイドンの「驚愕」は少しの不ぞろいから始まって、第二楽章でようやくまとまり、第三楽章で目覚めたように西本さんに引っ張られているような印象。
特に「運命」は最初からあまりに有名な曲です。
固唾を飲んでその音を待っていたんです。
でも、最初のその音から、演奏の迫力が足りないんですよ。

この指揮なんだから、もっと音が出るはず。
これだけの指揮に応えれば、もっと力が出せるはず。
ずっと物足りなかったんです。
もっともっと良い演奏ができるはずなのに。って。

この物足りなさが、会場の音響のせいなのか、オーケストラのせいなのかはわかりません。
全体的にキリリと引き締まった感じがなく、猫背な丸まったような音に思えました。

以前違う会場で、違うオーケストラで聴いた西本さん指揮の「運命」はもっと迫力があった。
身体の中心を突き抜けるような感動があった。
指揮は、あの時より素晴らしくなっていると思えるのに、曲がついてこないなんて。

どうしてなんでしょう。
私の正直な感想は、上記の通りです。

来月、もう一度西本さん指揮の演奏会に行きます。
西本智実「新世界」ツアー2008With モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団
〔ドビュッシー〕 牧神の午後への前奏曲
〔ロドリーゴ〕  アランフェス協奏曲
〔ドヴォルザーク〕交響曲 第9番 ホ短調「新世界より」op.95


そのとき、私はどんな風に演奏を聴き、受け取るのでしょうか。
とても楽しみに、ちょっと不安に、そのときを待ちたいと思います。
東京都交響楽団のモデルコンサートは、
ちょっとした営業案内のようだった。
子どもたちを対象とした音楽鑑賞教室の紹介――といえばいいのだろうか、
「こういう出張コンサートをやります」というアピールだったのだ。

日曜日の午前中、末っ子とともに武蔵野音大へ向かう。
末っ子は友達と遊びたかったといって、いくぶん不機嫌な顔をしていた。
けれども、コンサートが始まったとたん、身体を前に乗り出すようにして夢中で聴き始める。
舞台の袖から、マーチングバンドで見慣れたショルダーを付け、
スネアドラムを叩く人が現れたのだ。
みごとなバチさばき――。
たったひとつなのに、響き渡る力強い音――。
彼は的確なテンポでドラムを叩きながら観客席にやって来て、
ぐるりと歩き回る。
目が釘付けの末っ子に、トランペットの音が聞こえて来る。
今度は金管楽器が次々と観客席を回るのだ。
右から、左から、金管楽器を吹き鳴らした人々は、会場を回ると舞台へ戻り合流して、そこでラデツキー行進曲となった。

「子どもを退屈させないプログラム」
「音楽や楽器に関心を持ってもらうきっかけに」
だからどの曲もお馴染みのものばかりがチョイスされている。

J.シュトラウスⅠ:ラデツキー行進曲
ビゼー:「カルメン」組曲より<前奏曲>
楽器紹介(それぞれの楽器を音とアンサンブルで紹介)
L.アンダーソン:トランペット吹きの休日
(オリンピック風ハイ・スピード・笑)
エルメンライヒ:フライパンコンサート
(子どももステージに上がり、フライパンを叩く)
モーツァルト:「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」第一楽章
スメタナ:連作交響詩「わが祖国」より<モルダウ>

元テレビ朝日アナウンサーの朝岡聡が司会をし、
おもしろおかしく曲の紹介をしてゆく。
私のように素人にもわかりやすい解説。
ちょっとおいしい薀蓄うんちく(笑)
1時間のプログラムはあっという間に終わり、
ホールを出たところに「相談窓口」を置いて、注文受け付けますということだった。

家族の誕生日に、
結婚記念日に、オーケストラを呼んで演奏してもらうというのはどうだろう。
自宅でフルオーケストラは難しいだろうけど、
何も幼稚園や学校だけではなく、「どこでも行きます」らしい(笑)
じゃ、町内会のお祭りで? なんていうのもOKかしら。
来てもらうといくらかかるのかしら。

そんな興味も尽きないコンサートだった。

すっかり興奮して帰宅した末っ子の第一声は
「マジ! やばかったよ!!
スネアドラムの人、手が早くて見えなかった!」
だった。
何度考えても、どう考えてもわからない。

チャイコフスキーという人は、今から113年前に死んでいる。
1889年から1892年の間に書きかけだったという曲が未完成交響曲「ジーズニ」なのだが、
亡くなったその後、弟子たちなどにより復元プロジェクトが組まれ、2005年彼の命日である11月6日に世界へ向けて完成曲がお披露目された。

第一楽章はオーケストレーションもほぼ完成。
第二楽章の60%ほど完成していたという曲には、こんなメモが付けられていた。
『次は交響曲:人生のスケッチです! 第一楽章、全体は高揚、確信、感動への熱望、全体に短く(フィナーレは死、破滅の結末) 第ニ楽章のテーマは『愛』、第三楽章は『絶望』、第四楽章は『消滅-消え行くこと』で終わる・・・・『人生』『青春』『障害』『戯れ言』『コーダ-前進!前進!・・・・・』
たったこれだけで、復元プロジェクトは残りの曲を完成させたのだという。

そんな事が可能だろうか。
本人以外の人の手が入ったものを、チャイコフスキー作といってもいいのだろうか。

ジーズニ


「ジーズニ東京公演初日・西本智実指揮・ロシア交響楽団演奏」に行って来た。
注目される演目だからか、会場はほぼ満席。
西本さん指揮のコンサートには何度か行っているが、
TVの撮影も、発売される予定のDVDの録画も入っており、
会場は独特の熱気と緊張に包まれている。

チャイコフスキーと聞いて、私の頭に浮かぶのは、
「白鳥の湖」のあまりにも有名な
ら~ららららら~らら~らら~ら・ららららら~
というあれぐらい。
果たして演奏された曲が、チャイコフスキーらしいのかどうかなんて、
全然わからなかった。
「そうだ」と言われればそうだし、
「イメージが違う」と言われてもそうなのか、としか思えない。

それでも、演奏が終わると同時に、多くの観客が立ち上がって惜しみない拍手をし、
「ブラヴォー」の声が渦巻くのを見聞きする限りは、
おそらくすばらしい曲だったのだろう。

私にはよくわからない。
ただわかったのは、素晴らしい指揮と、素晴らしい演奏だったということ。
静かな調べから、徐々に高揚してゆく弦楽器と打楽器のうねり。
タクトが振られるたびに、音楽はまるで形と色を持って、
会場の中で膨らんでゆく。
メモにあった、『前進!前進!』と力強く演奏される部分は、
ティンパニーの強い存在感が浮き彫りになり、
本当に迫力があった。


ともあれ。
作曲家が誰でもかまわないのだ。
私にはわからないのだから。
心に響いてくる曲なら、それでいいのだと思う。

今回の席は、オーケストラを真横から見られる二階席だった。
指揮者の横顔も見ることが出来たのだが、
いつにも増して西本さんは、
唇を引き結び、怖いほど真剣な目で指揮していた。
だから、ジーズニを終えたときに見せてくれた笑顔は、
白く緊張した面持ちのそれまでと対照的で、
「ほっとした」気持ちが伝わってくる。
ジーズニ指揮中も、オーケストラに語りかけるような仕草を見せていたり、
全体を見渡して、訴えかけるような指揮だったのだが、
このあとのアンコール『アンダンテ・フェスティボ』でタクトを置き、
しなやかな素手で指揮するのを見て、
涙が湧くような気がした。
ジーズニは渾身の指揮だったのだと――。
重責を果たし、得意な曲に触れる姿は自然で、柔らかく美しかった。
ジーズニ最高潮の、まるで天から雷を振り下ろすような力強い指揮とはまるで違う、
心の中にそっと清流を流し込むような曲。

そうして、わたしはまた癒されて興奮の会場を後にした。
2006年最初のコンサートは突然決まった。
「チケットが余ったんだよ。お安く譲るけど、行かない?」
というお誘いに、演目さえ聞かずにOKした。

 演目はワレリー・ゲルギエフ指揮 マリィンスキー歌劇場管弦楽団
ニーベルングの指輪より
 『ラインの黄金』より「ヴァルハル城への神々の入場」
 『ワルキューレ』より2曲
 『ジークフリート』より「森のささやき」
休憩の後、
 『ワルキューレ』の第1幕をコンサート形式で。

前半の演奏はひたすらかっこよかった。
痺れるほどかっこいいのだ。
3階席へ届いてくる管楽器の迫力。打楽器の素晴らしさ。
あのトライアングルが、小学校から慣れ親しんだ楽器と同じものとは思えないほど素晴らしいなんて!
気が付けば拳を握り締め、乗り出すように聴いていた。

後半の「楽劇」は、こういうことなのねー。と、納得。
つまり、オペラ「ワルキューレ」の第1幕を、オーケストラと歌手だけで聴かせるのだ。
舞台衣装や舞台装置は無し。ちょっとオペラの練習風景といった感じ。
これまたストーリーがドラマチックで、やっぱりかっこいい。
全編ドイツ語、字幕スーパー付きだったけど、これはちゃんとしたオペラで観たら凄かろう。
でも、長いんだって。
序夜『ラインの黄金』約2時間30分、
第1日『ワルキューレ』約4時間、
第2日『ジークフリート』約4時間、
第3日『神々の黄昏』約4時間半
     トータル15時間
なんなの!?これ。
こんなグレードのオペラが15時間!
全然想像できません。
でも、トネリコの木に刺さった勇者の剣を抜くシーン。
見てみたいなぁ。


今年も素人が聴きにまいります(笑)
 今年初めてオペラを観にいった。
演目は「サロメ」で、とーっても刺激が強かった(笑)

 二度目の今回は、ようやくビギナーに親しみやすいと言われている「椿姫」
もちろん、なんで椿姫というタイトルなのかは知りません。
主人公の高級娼婦は名前が「ヴィオレッタ」。これはスミレじゃないの?


 ヴィオレッタは本当の愛を知らず、地位や身分の高い男たちを相手にするパリの娼婦で、人気が高い。そこへ訪れたアルフレードに愛を告白され、真面目なその青年に恋をする。
ヴィオレッタはパリを離れ、アルフレードと幸せな生活を送るのだが、そこへアルフレードの父が現れて、
「貴女が息子と居ると、私の娘の縁談が破談になるので、息子と別れて欲しい」と告げる。
「私は病気の身体だし、私にはアルフレードしかいない」と懇願するヴィオレッタに
「犠牲になってくれ」と執拗に頼む父親。
とうとうヴィオレッタは「わかりました」と返事をして離縁状を書き、愛の家を後にする。
ただ別れたいというだけではアルフレードは納得しないだろう。
かといって自殺すれば、彼も後追いをするかもしれない。
ヴィオレッタは「あの夜会の日々が恋しいのだ」と、パリの社交界へ戻り、再び娼婦に身を落とすことでアルフレードを裏切るふりをしたのだった。

 しかし、この行動を真に受けたアルフレードは激怒し、
ヴィオレッタに復讐しようとパリに乗り込んでゆく。
アルフレードはヴィオレッタの前で大胆なカード賭博に勝ち、その金をヴィオレッタに叩きつけて「これであの家の負債を返してやる」と辱める。
夜会に訪れていた人は口々にアルフレードを非難し、か弱い女性になんという態度だと詰め寄り、その夜彼女をエスコートしていた男爵から決闘を申し込まれる。
息子を心配し、事実を話そうと父親も会場に駆けつけたが遅かった。

 パリのとあるアパルトメント。
町はカーニバルで盛り上がり、人々の喧騒が窓越しに部屋に届いているが、
ヴィオレッタの部屋は暗く、家具調度品が売り払われてゆく。
わずかに残ったベッドの上で、ヴィオレッタは死を迎えようとしていた。
父親から、「息子に事実を伝えた。貴女を娘として受け入れる。会いに行く。」と書かれた手紙だけが、彼女の宝物だ。
その手紙を胸に、再会するのが先か、死に至るのが先かという危うい日々を送っている。
医者から結核であとわずかしかもたないと言われた命だったが、かろうじてアルフレードと父親はヴィオレッタに会うことが出来た。
しかし死神はそこまで来ていた。
パリを出て、もう一度ふたりで暮らしたい。
もっと生きたいと願うヴィオレッタは、ふたりに看取られて死んでしまう。


 純愛でした。
計算高く、世俗的な快楽ばかりを追っているような娼婦ではなく、
心からアルフレードを愛する故に、その家族が悲しい思いをすることを喜ばなかったヴィオレッタは、なんと奥ゆかしい女性でしょうか。
お話の流れも分かりやすい上に、本国から持ち込んでいるという舞台衣装や道具の数々も素晴らしく、途中で歌われる曲にも知っているものがあって、なるほどビギナーにも愛されるオペラでした。

 第一幕70分 休憩20分 第二幕60分
全編イタリア語 日本語翻訳付き

昨年聴いたエマニュエル・パユのフルートがあまりにも素晴らしかったので、
今回も期待して行って来ました、レ・ヴァン・フランセ。

チラシにはヴィルトゥオーゾ・アンサンブルと書いてあります。
それって何?
どうやら
フルート、オーボエ、ピアノ、バソン、ホルン、クラリネットのアンサンブルらしいです。
ああ。管楽器ばかりなのね。
でも、バソンってどんな管楽器だろう。
で、今回は長女を連れて行き、一緒に聴いてみました。
パユの人気のせいかどうかはわかりませんが、
発売後30分で完売となったプログラムなら、期待してよさそうです。

演奏曲目は
A.ジョリヴェ  フルートとクラリネットのためのソナティナ
P.タファネル  木管五重奏曲 ト短調L.テュイレ   六重奏曲 変ロ長調 Op.6
モーツァルト   ピアノ、オーボエ、クラリネット、ホルンとファゴットのための五重奏曲
A.ジョリヴェ  オーボエとバソンのためのソナティナ
F.ブーランク  六重奏曲

どうしよう。いつも知らない曲ばかりで戸惑う私ですが、今回は作曲者まで聴き覚えがありません。唯一知っているモーツァルトのこの曲は、いったいどんなのでしょう。

一曲めは、たったふたりで演奏する曲でした。
最初の音からずっと気持ちのいい曲で、森の木漏れ日の中を少年が駆けているような感じです。
音はあくまでも柔らかく、心地よく、軽快で、ここからの演奏に集中できるように連れて行ってくれました。
次はつい身体が動いてしまいそうな、楽しく可愛い曲で、娘とふたり、目を見合わせて微笑みながら聴きました。
そこへ三曲目、ピアノが加わって、音はぐっと広がり、ふくらんで迫ってきます。
ピアノも素晴らしい。いや、各パートいずれも本当に素晴らしい!

管楽器に息を吹き込むということは、
音に命を吹き込むことだと、単純に感動した演奏でした。
手の平が熱く、体温が上昇したと感じるほどに拍手を贈れば、思いもかけず2曲もアンコールを演奏してくれ、最後の最後まで顔が緩み、楽しくて楽しくて仕方ないほどでした。

娘の方は、「全曲がひとつのゲームミュージックのように、ストーリーがあった」と言っています。
事の起こり、キャラクターの紹介、出会い、冒険の数々、クエストと戦闘。
ボスキャラ戦、勝利、平和、祭り。
なるほどねー。先入観無しで聴き、身近な音楽が、TVやゲームからという日常ではそんな風に思うのかもしれません。

娘も私も、まぶたにその情景が思い浮かぶほどの音のシャワーを浴びて帰宅しました。
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