◆真昼の月◆

ヘルパーのお仕事、職人仕込みのレシピなどを綴ります。

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蕎麦

福井は蕎麦どころだ。
町の中に多くの蕎麦屋があるが、飛び込みで入っても、あまり失敗することはないくらいだ。
(ただし、立ち食い蕎麦については経験がないのでなんとも言えない)
蕎麦好きな県民は、足を延ばして、結構遠くまで蕎麦を食べに行く。


そんな福井で、蕎麦といえば「おろし蕎麦」を指す。
冬、甘みを増した大根おろしがたっぷり乗った蕎麦は美味しいが、
夏の辛い大根おろしが乗った蕎麦を、ひーひー言って食べるのも美味い。
大晦日に食する「年越し蕎麦」も、このおろし蕎麦だ。
と、いうより、大晦日にはどこの蕎麦屋でもおろし蕎麦しかおいていない。
12月31日に店へ行くと、まず大量の大根おろしを作る。
大きなボールにたっぷりすりおろすが、それを一日に何度も作るのだ。
福井の蕎麦は蕎麦の実を皮ごと粉にした黒っぽい蕎麦で、つなぎは店によってまちまちとなっている。
(蕎麦屋で6年の勤務経験ありσ(・_・))

塩蕎麦

今回初めて訪れたのは、池田町の「一福」というお蕎麦やさん。
池田町は今庄町と並ぶ蕎麦どころで、一福の名物は「塩蕎麦」だという。
子ども達は無難な普通のおろし蕎麦のおろし抜き(要するに掛け蕎麦か?)を注文し、
大人は塩蕎麦と生醤油蕎麦も食べてみる事にした。
塩蕎麦は、出汁が綺麗に澄んでいて、思っていたようなしょっぱさは全然なく、
とても美味しかった。
食べ終わった後のつゆの色を見てもらうと、色の違いが分かると思う。
奥の方が塩蕎麦のつゆだ。


値段が安いが、器も小さい(笑)
ひとりで2杯は当たり前。
6人で行って、無理を言っておかわりを注文し、こんなにたくさん食べました。
池田は市の中心からかなり離れていますが、美味しい蕎麦屋が多く、
やっぱり出かけてしまいます。
ご馳走様。美味しかったです。

ごちそうさま

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世界の三大珍味を知っている人。
これは結構いるでしょうね。

キャビア
トリュフ
フォアグラ

では、日本の三大珍味となるとどうでしょうか。

三河のコノワタ
備前のカラスミ
越前のウニ

聞いた事、ありました?

越前のウニ、というのは寿司屋にあるようなウニではありません。
あれはムラサキウニの卵巣ですが、越前のウニはバフンウニの卵巣だけで作ります。
大きさもムラサキウニの卵巣が2~3センチに対して、バフンウニは5ミリ程度です。
この小ささで、越前産のバフンウニだけを使い、しかもその漁が解禁されているのはわずかに夏の1ヶ月ほどのみ。
もうこれを知っただけで、値段は想像がつきそうなものです。

練り雲丹

夏の味覚・越前ウニは、それこそスーパーでも買えますし、値段もピンからキリまで色々です。
安いものは、大半は韓国産のウニを使用していたり、ウニにつなぎの粉をまぶしたりして普通の家庭でも買えるような工夫がしてあります(笑)
もちろん、それだって美味しいのです。
干して、塩をして水をぬかれたウニは、そのうまみが凝縮されていて、
口の中で馥郁たる香りを放ちます。
炊き立てのごはんにまぶして食べれば、ねっつりとしていたウニが溶けて、
幸せで涙が出そうなおいしさですよ。

今回は、新しく立て替えられた福井駅の中にある「天たつ」さんで、
清水の舞台から飛び降りる覚悟をして、粒ウニを一匁買いました。
「もんめ売り」っていうのも凄いですが、粒ウニは、練っていないので、卵巣の粒がそのままの状態になっています。
もちろん、数は取れませんから、販売数も限られています。
これを爪楊枝で少量ずつすくいとって、なめるようにいただきました。
美味しさは言うまでもありませんが、この越前ウニ用のバフンウニは将来も確保できるのでしょうか。
いつまでも綺麗な海で、豊かな海の幸を育み続ける越前海であってほしい。
越前ガニにしても、大切に残して欲しいと願わずにはいられません。
ソースカツ丼

福井でカツ丼を注文すると、決まって出てくるのはこの「ソースカツ丼」だ。
これこそがポピュラーだと思っていた私は、県外に出て卵とじのカツ丼が普通なのだと知って驚いた。
福井で、卵とじのカツ丼を食べたければ「上カツ丼」あるいは「卵とじ」と、必ず告げなければならない。
カツは薄切りのロース肉で、衣はきめ細かいパン粉を使用し、かりっと香ばしく揚げてあり、揚げたてを甘辛ソースにジュッと浸す。
そのソースをご飯にもたっぷりかけて、上にカツを乗せる。
写真のように、カツが何枚も乗っているので、いったん丼の蓋の裏に引越しさせて食べる。

夏は敦賀の水晶浜へ海水浴に行き、帰りにヨーロッパ軒敦賀金山店でカツ丼を食べるのが楽しみなのだが、今年は定休日だったので叶わなかった。
写真は昨年撮影した物だ。
お店では、特製ソースも購入できて、自宅で作ることも可能。
福井のスーパーマーケットなどでは、ソースに浸したトンカツがお惣菜コーナーで当たり前に買えるので、自宅で食べるカツ丼もソース味が多いです(笑)

 田舎の家は広い。
私の家も都会の戸建から見れば、田の字作りの大きな家だった。
私の部屋は2階で、10畳間。
父の一番下の弟が使っていた部屋を、結婚して出て行くのを期にそのまま貰い受けた形で使っていた。
本棚も、文机もお兄ちゃんの(と、呼んでいた)お下がりだった。
私が幼稚園の時に、まだ大学生だったのだから、「叔父さん」と呼ぶには若かった。

高校の時、ものすごく雪の降った日が続いた。
窓が雪で埋まり、光が入らなくなる。窓枠はゆがんで既に開けられない。
家の前の道路は、毎日当たり前に除雪車が雪をどかしてくれる。
しかし、玄関から道路までの庭の部分は自力で雪かきをしないと、どこへも行けない。
朝一番の仕事は、この雪かきだ。

ある日の明け方。
「起きろ。」と祖父が私の部屋に来た。
目覚まし時計は午前3時半。目が重くてとても眠い。
「本屋根を下ろす。支度して外へ出ろ」
こんな時の祖父は、「眠い」とか「寒い」とか、そんな甘い事なんか一切受け付けないという強い目をしている。
黙って着替える。セーターの上にヤッケを羽織り、ニット帽と手袋を着ける。
玄関からアルミの角スコップと、長靴を持って2階へ上がる。
自分の部屋の腰高窓の下の雪を踏み固めて外へ出ると、街灯に照らされて、既に近所の人がそれぞれの家の雪下ろしをしているのが見えた。
耳を澄ませば、大黒柱がキーーーっときしんでいる音がする。
背筋が寒くなる。早く雪を下ろさないと、家がつぶれるかもしれない。
母は脚立を持って、祖父はプラスチックの波板を持って上がってくる。
2階の屋根から本屋根へ更に上がる。
雪は降りしきる。まったく止む気配など無く。
北陸の雪は水気を含んで重い。
「波板を渡すぞ」祖父が2階の屋根にいる母に声を掛け、本屋根から2階屋根へ、滑り台のように波板を渡す。
2階の波板は庭へと延びている。
波板が滑っていかないように、雪を固めて、中央を低くし、端は雪で埋める。
「始めるぞ!」
本屋根から祖父と私がスコップですくった雪を波板に流すと、2階の波板に流れていく。
母がそこで止まらないように、更にスコップで押し流して庭に落とす。
暗い空から、真っ白な雪が降ってくる。
空が近い。周りは真っ白で、高さなんか感じない。
家の一番高い屋根をまたぐようにして、休み無く雪を下ろしていく。
「念しゃに(丁寧に)取るな。15センチは残しておけよ」
「うん。わかってる」
残す雪が少ないと、すべって落ちる事になる。
本屋根下ろしを終え、2階の屋根も同じように終え、
あたりが白々とする頃に家に入ろうとした、その時。
軒先の雪を落としていた祖父が落下した。

下ろした雪がたまっているので、落差はそんなにない。
けれども、そこに積まれている雪は落ちてきて硬く山になっている。
下手に落ちたら骨折すると、祖父はいつも私に言った。
「玄関前におじいちゃんが落ちた!」
長靴とスコップを持ち、玄関に走る。戸を開ければ、自分の背より高く雪が積もっている。
屋根と雪の隙間から祖父の手が見えた。
「落ちる時は抵抗を少なくするようにバンザイで落ちるんだぞ」
祖父はその通りにバンザイで落ちたのだ。手を振ってここだと合図している。
目の前の雪をスコップでどかしていく。
母も、お風呂を用意していた祖母も手伝う。
10分ほどで掘り出した祖父は、さいわい怪我もしていないようだった。
「よし、玄関先を雪かきしたら、終わりにしよう」
何事も無かったように再びスコップを握る祖父は、うずたかい雪をどかし、道路までの道を確保していく。
母は朝食の用意に家に入る。
祖母はお風呂と着替えを用意している。
「ああ濡れた。風呂へ入る」
祖父は風呂に入り、朝食を摂り、お弁当を持って私より先に家を出ていく。
祖父は72歳。土木作業員だった。林道工事に携わっていた。
「おじいちゃん、居眠りしたらあかんよ。怪我するよ」
迎えのバスに乗ろうとしている祖父に声を掛けると、
「おまえこそ、大事な授業に居眠りするな」と釘を刺された。
寡黙に働く男はかっこいい。
おじいちゃんが寝ないのに、私が寝るわけにいかないじゃない。
我が家の大事な大黒柱もおじいちゃんも折れないでよかった。
水羊羹

今シーズンも福井から江川の水羊羹が届いた。11月1日から3月30日までしか作らない、期間限定のふるさとの味。
 水の良い季節しか作らないというこの水羊羹は、なめらかで黒砂糖の風味と小豆の風味がとても美味く相まっており、寒い部屋を暖めて食べると、それはそれは幸せな気持ちになる。
 上京して「お中元」セットの中の缶入り水羊羹を見たときには、びっくりした。
 好奇心で一缶買って食べてみて二度びっくり。
羊羹とあまり変わりが無かったからだ。
やっぱり水羊羹はプリンみたいにフルフルするほど柔らかくなくっちゃ♪
庭や畑の柿を収穫すると、まずは二つに分ける。
ひとつは干し柿用。もうひとつは合わせ柿用だ。
渋柿をそのまま大きなビニール袋に入れて(30キロ米袋)口をしっかり結び、家族が入り終わった後のお風呂に浮かべておく。
たったこれだけで甘くなるのが毎年毎年とても不思議だった。
もう一方は皮を剥いてヘタの部分に紐をひっかけ、すだれのようにつないで軒先に干す。
軒先には、柿を始め、玉ねぎなども干すので、物干し竿を何本か渡してあった。
私はよからぬ事を思いついた。
竿にぶら下がって、ターザンごっこをやってみたのだ。
竿は多少しなったものの、小学生の私の体重では折れなかった。
もっとも、その頃の私は「ガイコツ」と呼ばれるくらい痩せていたのだから軽かったのだと思う。
居間の軒先は、Lの字に張り出した仏間の軒先へと繋がっている。
仏間の軒先にもやはり竿が掛けてあったので、そこへ飛び移ろうと手を伸ばしたとき、
思い切り派手な音がして、仏間のガラスが割れた。
まるでお寺の鐘をつくように、居間の竿が仏間の窓を破った音だった。
ガラスは浴びなかったものの、足元は割れたガラスが散乱し、降りる事ができず、私はぶら下がったまま途方に暮れるしかなかった。
そこへ、音を聞きつけた祖父があわててやって来て、そのありさまを目にしたとたん、今まで見たことのない驚きの表情を見せた。
 「怪我は?怪我はないんか!?」
わたしは情けなく竿にぶら下がり揺れながら、蚊の鳴くような声で「うん」と答えた。
「ごめんなさい」と言おうと思ったときには身体を祖父に抱えられていた。
これで降りられると安堵したのが甘かった。
祖父は私の身体を、中庭の池に投げ込んだのだ。
「このバカモン!」と盛大に怒鳴りながら。
池は祖父自身が穴を掘り、コンクリを流して固めた物で、直径2メートル、深さは一番深い部分が1.5メートルあり、錦鯉や金魚はもちろん、
私と妹が持ち込んだメダカやおたまじゃくし、果てはザリガニまで入っていた。
身体の周りを、パニックになった錦鯉が右往左往している。
11月の水は冷たく、髪までぐっしょり濡れて、たちまち歯がガチガチと鳴る。
「ばあさん!このバカを洗ってやれ!」
祖父は畑に居る祖母に声を掛け、行ってしまった。
「ひゃあぁ、お前、ガラスを割ったんか?あほやなぁ。あ、目ぇ擦ったらあかんざ」
祖母は私を引き上げるために、まず割れたガラスを掃き集め、道を確保した上で手を差し出したが、泥だらけの格好のまま、風呂場まで連れて行くわけにはいかないから服を脱いでしまえと言い、大きな古い布団のシーツで私をくるんだ。
風呂が沸くまでの間の寒かった思いは、今でも忘れる事ができない。
後にも先にも、祖父から叱られたのはこれ1回きりだった。
風呂から上がって、改めて謝りに行った。
手をついて「ごめんなさい。もうしません」と言い、顔を上げると、そこにはいつもの祖父のやさしい顔があった。
「怪我せんで、よかったんやぞ。あんなてんこな(乱暴な)事、したらあかん。あばさけてっと(ふざけていると)過ち(怪我)するでな」
祖父は大きな手で、私の頭を何度も撫でた。
もう絶対祖父に心配はかけるまいと、心の中で誓った。
 夏休みに入った。
田舎では毎日行われるラジオ体操も、このあたりでは8月最後の週に5日間あるだけだ。
私の小学校のころの夏休みの生活は・・・

夏といえば、農家は畑の収穫真っ最中。
早朝涼しいうちに起床すると納屋へ行き、祖父母が収穫した野菜を市場へ出荷する手伝いをする。
納屋の中心に布団の大きなシーツを広げて、その4隅にそれぞれが座ると、
爪を立てたり、傷を付けないように注意しながらトマトやナスを優しく拭き上げていく。
枝豆は葉付きのまま藁で縛ったりしたのだが、この作業は痒くて痒くて嫌だった。
用意できた野菜は、サイズごとに分けて祖母が箱に詰めていく。
この間にラジオ体操に行き、朝食をかき込む頃にはもう祖父が呼びに来る。
「はよせぇや(早くしろよ)、もう行くで。」
野菜を積み込んだリヤカーを引く祖父。それを押す私。
市場までは30分くらいかかり、結構子供の足では遠い。
祖父も私も汗をかいて、顔が赤く、ふうふうと息をしている。
青い夏空を振り仰ぐ事も無く、ただ足元を見て一歩ずつ進んでいく。
(その頃は福井のフェニックスプラザの場所に田原町市場があった)
市場につくと、仲卸の人が野菜をチェックしてくれるのだが、
私がいるときには、時折果物をくれた。
びわだったり、すももだったりしたが、家になる柿以外はあまり果物を食べる機会のない私にとってはご馳走だった。
帰りは祖父が私をリヤカーに乗せて引いてくれる。
そのリヤカーの上でうるさい位のせみの声を聞きながら、もらった果物をすするように食べ、ようやく青い空を見上げる。
夏休みになるたび思い出す、今となっては懐かしい祖父との仕事。
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