◆真昼の月◆

ヘルパーのお仕事、職人仕込みのレシピなどを綴ります。

H水さんのお宅では、卵をいつも群馬から取り寄せている。
5キロ、約70個が段ボール箱に入って届く。

H水さんは、卵が大好きだ。
調理介助で入っているヘルパーに必ず「何でもいいから、卵料理を作ってね」とおっしゃる。

卵焼き、目玉焼き、オムレツ、スクランブルエッグ。
ヘルパーは、前日のメニューと重ならないように卵料理を作る。
それでも、卵料理は一日一回。老夫婦ふたりでは、なかなか食べつくせない。
息子や娘が様子を見に来るたびに、おすそわけをするが、それでも減りは少ない。

「卵の残りが少なくなったんだ。いつものを一箱頼むよ」

注文するH水さんは、とても嬉しそう。



ところが、このH水さんが認知症となった。
まだ卵が十分あるにもかかわらず、注文の電話をしてしまう。
たちまち卵がたまって来る。
子どもたちに分けても追いつかない。
日によっては午前と午後にそれぞれ注文してしまい、300個以上の在庫を抱えたこともある。

仕方なく、鶏卵店に連絡をして、H水さんから注文の電話があっても、送らないでほしいとお願いをした。これからは娘さんが注文するということにしたが、お店の方は「長くごひいきにしていただきましたから」と、快く了解してくださったそうだ。

H水さんは、相変わらず毎日のように卵を注文する。
ヘルパーが訪問するたびに「卵の在庫はたぷりある?」と確認をする。
嬉しそうに、おいしそうに、卵料理を食べる。

この嬉しそうなお顔を、鶏卵店の親切なご主人にも見ていただきたいと思ってしまう。

生まれながらに全盲のMさんは、幼稚園を卒園すると、盲学校の寄宿舎に預けられた。
盲学校は県にひとつしかなく、遠方に住む多くの視力障害児は寄宿舎で過ごしながら学ぶのだそうだ。

週末に帰れるような距離ではなく、週末ごとに親が会いに来てくれるような裕福な家庭でもなかった。
Mさんは毎日毎日、母親を思い、家族を思い、家庭を思って寂しく暮らしていたが、ようやく夏休みが訪れた。
母親が迎えに来てくれて、長い夏休みを実家で送る。
それはとても幸せな日々だった。
5人兄弟の末っ子だったMさんは、兄たちに可愛がられ、一緒にプールへ行ったり、すいかを食べたりすることが嬉しくて仕方なかったと話してくれた。

けれどもある日、Mさんはツクツクボウシの鳴き声を聞いてしまう。

夏が終わるよ。秋が来るよ。
ツクツクボウシはまるでそう人々に告げることが使命のように、懸命に鳴き続ける。
誰にも教わることなく、何年も土中に埋もれながら、ツクツクボウシは地上に出たとたんに、己の役割を忠実に果たそうとする。
今年も僕らが鳴くよ。夏は終わるよ。秋の支度をしておくれ。

見えなくても初秋の空気を感じる。
見えなくても日差しの変化はよくわかる。

秋が来る。Mさんは痛感し、悲しみに暮れる。
秋が来る。寄宿舎に戻る秋が、来る。

「今でもツクツクボウシは嫌いだ」
あの夏の日の、悲しさと切なさを思い出しながら、Mさんはアイスコーヒーにクリームと砂糖を入れた。
少しもこぼすことなく。
喫茶店の外では、ツクツクボウシが鳴いている。
1件目の仕事を終えて2件目のお宅への移動途中で、霧雨が降り出した。
雨の多い時期なので、雨合羽は持っているが着るほどの降りではないと、濡れるにまかせて自転車をこいでいた。

駅に近いスクランブル交差点で赤信号にひっかかり、青信号を待ちながら
「これ以上ひどく降らないといいなぁ」と、空を見上げていると、誰かが傘をさしかけてくれた。
それは見ず知らずのおばあさんで、私と目が合うとにっこりして
「ほんの何分だけどね、傘にお入りなさいな」と言った。

「今日は総合病院で三つの科を受診してきたんだけど、ひどく混んでいたのよ。連休明けだからでしょうね。時間がかかったわぁ」

小さなおばあさんは、肩をすぼめて、それでもニコニコとしている。
「この歳になると、病院へ行くのが仕事でねぇ」
「病院に行くのが嬉しい人はいませんからね。お疲れになったでしょう?」
「周りも病人やくたびれた年寄りばっかり。何か楽しいことはないかしら、って思っていたの。でも、あなたとお喋りできて嬉しいわ」

やがて信号は青に変わり、人々は流れ始める。
「ありがとうございました。どうぞお大事に」と、私は言い、
「気をつけて行きなさいね」と、おばあさんは言って別々の道へと分かれて行った。

知らない高齢者から声をかけられることがよくある。
そういう人はみな、暖かい言葉をかけてくれる。
じんとする一瞬だ。

元気をもらって、私を待っている高齢者のお宅へと自転車をこぎ出した。
視力障害者の方をガイドする時に、身体のどこへ触っていただくかというと、2人の身長差によってまちまちなんです。

我が家のご近所に住んでいるS木さんは、背の高い50歳代の男性なのですが、私と歩く時にはいつも私の右二の腕につかまりながら歩きます。
これがぱっと見、腕を組んでいるように見えるんですよ。
まあねー。結構密着していますしね、無理ないんですけど。


先日、商店街をS木さんと歩いていました。
この日は眼科の通院介助で、その帰りに買い物をして帰ってきたんです。
何気ない会話を楽しく交わしながら歩いていると、前方から何やら視線を感じます。
あれれ? あの自転車に乗ってこっちへ向かってくる人、知ってるぞ。
あ、なぁんだ。うちのマンションの管理人さんです。銀行へでも行くのでしょうか。

管理人さんも私に気が付いたようです。
こちらは仕事中ですから、挨拶もしませんし(他人との余計なお喋りはしません)、身体が揺れるのを防ぐために会釈もしません。
何もなかったようにそのまま歩いていたのですが、管理人さんの方はというと、ぎょっとした顔をし、口を噤むと何度か私に向かってうなずき、「うんうん、わかった」というように通り過ぎました。

え、あの、ちょっと!
もしかして、ものすごく誤解しましたか?

私が夫以外の男性と、親しげに笑いながら腕を組んで歩いていた。
手にはスーパーの買い物袋を下げて、自宅マンションと違う方向へ向かって歩いていた、ということは、相手の男性のお宅へこれから行くんだろう・・・って!?

確かに買い物をすませて、これからS木さんちまでお送りし、記録を作成する所でしたよ?
でもね、別に男女の関係だとか、そんなことは絶対ありませんからね!

あの「うんうん」は「黙ってますから」ってことだったんだろうなぁ。。。



帰宅してきた夫にその話をしたら、げらげら笑われました。
「うちの嫁さんはもてるんだなぁ」って、笑いごとですか?

管理人さんに、事実を伝えた方がいいのでしょうか。
と、思いつつ、まだそのままになっています。

Tくんの通院介助は、お母さんと一緒に行います。
お母さんが車を運転して病院まで行き、そこからが私の出番。
彼の体の湾曲に合わせた特別製の車椅子を組み立て、そこへ座ってもらう。
車椅子を押す私の後ろを、お母さんは着替えの荷物などを持ってついてくる。

GWの合間のこの日、病院はとても混んでいて、病院へ繋がっている道路がすでに渋滞するほどだった。余裕をもって家を出てきたのに、到着して駐車場へ入れたのが、予約時間の11時。
「混んでいるけど、もう薬がないから診察してもらわないとダメなのよ」と、ため息をつくお母さん。
そう。最近、薬だけ受け取ることができなくなりました。
必ず診察が必要なんですよね。

受付してみたら、診察してくださるのは、かかりつけの医師ではないというのです。
GWで代診、だそうで、Tくんのことを一度も診察したことのない先生で、「そんな先生に、Tの何がわかるのかしら」とお母さんは心配そうです。
待合室はとても混雑していたので、かなり離れた隅っこで順番を待ちました。
Tくんは難病で知的障害もあります。5歳まで生きられないだろうと診断されながら、20歳を超えた今も、自宅で穏やかな生活を送っています。
胃ろうの手術を受けているので、食事を摂ることも飲み物を飲むこともできません。

もしTくんがインフルエンザにかかったら。
彼はうがいをすることができません。
体重は28キロしかなく、抵抗力も免疫力も低いので、罹看と同時にたちまち重度となるでしょう。
命だって危なくなるに違いありません。
Tくんにとって、こんなにも混雑した病院に長時間いることは、とてもリスクが高いのです。

結局、2時間待ちました。
そんなに待ったのに、診察はたった2分です。
「特にお変わりありませんか? じゃ、いつもの薬を出しますから」
それでおしまい。

なんだかなぁ。
もう少し、なんとかならないのかなぁ。
すごくそう思った通院介助でした。
S子さんのお宅は、豪華な調度品にあふれている。
衣桁にかかっている着物は大島紬だし、ダイニングセットは見るからに外国製品だし、
ずらりと並んだタンスは鎌倉彫。
食器も豪華なブランドがそろっている。

けれども何より高価なのは、敷き詰められたペルシャ絨毯だ。

いったい1センチ織るのにどれだけの時間がかかるのだろうというほどの、厚みと打ち込み。
鮮やかな蒼い色。

初めて訪問したとき、思わずS子さんに聞いてしまった。
「この絨毯を踏んでもいいのでしょうか」

このくらいの厚みがないと、足が冷えて痛いのよ。
私にとっては必要不可欠な日用品だから、踏んでも構わないわ。

変形したつま先は、冷えるとひどく痛いのだそうだ。

こんな豪華なものを踏むなんて、そうあるこっちゃない。
私は踏みしめながら掃除機をかけた。



そのS子さんが亡くなった。
お風呂場で転倒して、死後4日ほど経ってから発見されたという。
いわゆる孤独死だ。

S子さんは未婚で、子どももいなかった。
おもな介護者と身元引受人は近所の仲良しさんの名前が上がっていた。

いつもなら入浴はヘルパーが介助するのに、なぜ一人で入ったのだろう。

主を失ったあの絨毯は、いったいどうなるのだろう。

そして私は、絨毯を見るたびに、S子さんを思い出すのだ。きっと。


ご冥福を祈ります。
11時になると、90歳のご主人が出てきて木戸を開ける。
シャッターではない、木戸というのがこの店にしっくり合う。

間口の狭い、小さな店舗が現れる。
入り口の左には、郷愁を誘うカラスのショーウィンドウがあり、何枚かのスカーフやハンカチが飾られている。
どこにも看板はない。
ただウィンドウの中身から、そこがスカーフ屋さんらしいと想像するだけだ。

85歳を過ぎているというおばあちゃまが店を守っている。

もういつ死ぬかわからないから、仕入れは全部現金なのよ。
現金だから安く仕入れて安く売れるの。
儲けなんか、いまさらどうでもいいのよ。
気持ちよく買ってもらえて、気持ちよく売れたら。
売り方もね、昔のままよ。
シルクは全部目方売り。
ブランドだとか、大きさだとかは関係なくて、一匁(もんめ)いくらって勘定して値段を決めるの。
だからね、絹製品は百貨店と同じものを置いていても、安いわよ。

おばあちゃまのお喋りは軽快で、退屈しない。
ついつい、もっと長く話したくなってしまう。

上野に行くたびに、小さなその店に寄る。
おばあちゃまとお喋りして、お元気なのを確認する。
なんだか自分も元気をもらう。

いつまでもご夫婦仲良くお元気で。

今日もまた、お店の木戸は開かれるだろう。

東京都台東区上野6丁目14 丸井近く
むらさき